3.11東日本大震災から、今日で3年が経ちました。
東日本大震災から、今日で3年が経ちました。
2011年3月12日から、約1カ月分の高知新聞を、
大切に保管しています。
2011年、3.11の震災の前の日にあったことを思い出して、
昨夜は空を見ましたが、澄んだ空に星と、
飛行機が2機、飛んでいました。
今朝は3.11の日のような変な感じは、まったく無い、
快晴の普段と変わらない朝でした。
昨夜、ニュースZEROで、櫻井キャスターが、
先日のソチオリンピックのときに羽生選手にインタビューしたのを放送していました。
「金メダルだからこそ、無力感を感じた。」
自分が頑張れば、金メダルを取れば、何かが変わるんじゃないか。
そう思っていたのに、結局は、自分の為でしかなかった。
日本も、被災地も、何も変わっていない。と。
羽生選手は、仙台で被災して、避難所で生活していた時の写真も見せてくれました。
「ここに寝て、この天井を見ながら、
日本どうなるんだろう。とか、考えていた。」
今日は、命の重みを考える日。
そして、あたりまえにあるものが、じつはあたりまえではないことを、
思い出す日。
2012年の3月11日、中学校の卒業式にて、
卒業生代表
「予定通りに、ことが運び終わるのが、当たり前だと思っていました。
でも、それは当たり前じゃない、奇跡なんだということを。」
当たり前にご飯が食べられて、
あたりまえに暖かいお布団で寝られるのが、
実は当たり前ではない、ということ。
2011年3月11日以降、震災はたくさんの試練を残しました。
>>被災地へから書き綴られたある医療スタッフのブログには、
大変なことも、悲しいことも、大切なことも、
残してくれています。
そして東日本大震災は、私たち南海地震の区域に、
大切なことをたくさん教えてくれたと思っています。
2011年3月11日以降、
土佐清水市では、中学校が統合になり、
安全な高台に、最新の学校ができました。
宿毛、中村、大方にも、避難塔が少しずつできています。
まだ人口分には達しませんが、今までの「無い」よりはましです。
ソメイヨシノよりも一足先に、さくらんぼの桜が、
今年も綺麗に咲きました。
今朝のとくダネで、
津波で亡くなった役場の女性のお母さんが出ていました。
震災で被災し壊れた建物を、国が援助し、
後の為に残そうという動きに変わっているようです。
震災遺構と呼ぶ建物たち。
お母さんが話します。
役場を残すとつらい、というかたの気持ちもわかりますが、
あの役場は、私の娘が亡くなった場所ですが、
娘が生きていた証の場所でもあります。
あの場所を残して、のちの人の為に語っていかなければならない。
涙が出ました。
私も、被災した建物は、残したほうが良いと思います。
もうちょっとしたら、
14時46分18秒になります。
その時間は、仕事の手を止めて、
さらなる復興を願って、黙とうしたいと思います。
今、twitterで教えてもらいました。
yahooで、検索で「3.11」と検索したら、
ひとり10円、寄付できるようです。
ぜひ、検索されてみてください。
【記録】
・大きな地震がありました。近くの地域のかたは気をつけてください。|テレビ各局が緊急特番、津波映像など伝える
・東北地方太平洋沖地震・東日本大震災の応援リンク
・東日本大震災をきっかけに、ツイッターTwitterを始めました。友達にどうしても読んでもらいたいもの…
・M8級は想定内!東京ディズニーランドが東日本大震災で2万人のゲストお客様に提供した安心
・3月11日・東日本大震災から1年
・東日本大震災から、今日で2年が経ちました。